波立薬師 はったちやくし

はったちやくし
波立薬師

 「いわき市の文化財 いわき市教育委員会発行」からの抜粋

 

木造薬師如来懸仏

(もくぞうやくしにょらいかけぼとけ) 一面


指   定 昭和54年4月14日
所在地 いわき市久之浜町田之網字横内72
所有者 波立寺(はりゅうじ)
                                      室町時代永禄11年(1568)
                                      直径57cm 厚さ2cm

  

 波立寺は臨済宗妙心派に属し、創立は大同元年(808)徳一の開基と伝えられる。
境内の薬師堂は、古来磐城三薬師の一つに数えられ、岩城氏や代々の磐城平藩主の祈願所で、庶民の信仰も厚かった。
 薬師堂にあるこの懸仏は木造で、鏡板の中央に漆箔の薬師如来像を彫出している。像には肉髻(にっけい)、白毫(びゃくごう)があり、穏やかな面相で、口もとにはかすかな微笑みをうかべている。鼻頭に少しすれ傷があって地肌があらわれている。手に薬壺を持ち、手と薬壺の一部に欠損がある。蓮台に坐した像は、前裾の衣文(えもん)が蓮台をおおって垂下し、裳懸坐(もかけざ)のごとき形になっている。衣文の彫りは穏やかで、二重円相の光背内側には朱漆が塗ってある。
 鏡板は、右の一部が欠失しているのでわからないが、二材か三材から構成されたものと思われる。外側は黒漆を塗り、その内側には二条の線を巡らして内周を画し、朱漆を塗っている。内周には八個(1個欠失)の円珠文をあらわし、刻字の朱漆銘がある。
 背面の矧ぎ目(はぎめ)は麻布を張って漆を塗り、全体には朱漆が塗られている。中央に刻銘、左右には黒漆銘があるが、黒漆銘は剥落のため塗師の名など不明な所がある。
 この懸仏は銘文によると、永禄十一年(1568)に新妻雅楽尉が寄進し、寛延元年(1748)には、子孫の新妻平四郎(四倉村)等が修復した。
 様式は簡素で一部を欠失するが、いわきにおける中世末の薬師信仰と、漆工芸史上年代の明らかな遺品として貴重である。
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  懸仏(かけぼとけ)
銅などの円板に仏像・神像の半肉彫の鋳像などを付けたもの。
柱や壁にかけて礼拝したもので,平安後期に本地垂迹の思想から生まれ,鎌倉室町時代に盛行した。

本地垂迹(ほんじすいじやく)
本地(仏・菩薩の本来の姿)の仏が衆生済度のために、諸神の姿をかりて現れるとする意味に転じたもの

波立薬師 斜め上から
波立薬師 斜め上から